この記事の要約

週末の夜、やり直しているオープンワールドのゲームで、ふとコントローラーを置いて席を外した時のこと。画面に戻ると、操作待ちの主人公が小さくあくびをしていました。効率や目的からは外れた「何もしない時間」のために用意された細やかなデザイン。そこから、僕たちの日常やコミュニケーションに潜む「待つことの豊かさ」を考えた夜の記録です。

コントローラーを置いて見つめた、小さなあくび

9月半ばの週末、窓の外から聞こえる虫の音が少しずつ大きくなってきた夜のこと。間接照明だけを点けた薄暗い部屋で、僕は数年前にクリアしたオープンワールドのアクションゲームを最初からやり直していた。物語の結末も、どこに強い敵が潜んでいるかも、どんな罠が待ち受けているかもすでに知っている。だからこそ、以前は先を急ぐあまり見落としていた街の精巧な作り込みや、すれ違う住人たちの何気ない会話に、ゆっくりと耳を傾ける余裕があった。初めてプレイした時は、とにかくレベルを上げて次の目的地へ向かうことしか考えていなかったけれど、今こうして歩き回ってみると、石畳のひび割れ一つにまでデザイナーの執念が宿っていることに気づかされる。独学でFigmaのプラグインを開発していた頃、深夜までピクセル単位の調整に没頭していた自分の姿が重なり、作り手の熱量のようなものが画面越しに伝わってくる気がした。

ゆうと本人と「コントローラーを置いた数分間と、画面の中で呼吸を始めた主人公」の内容を表すブログ挿絵
ゆうと本人の雰囲気と記事の情景

プレイの合間、お湯を沸かして温かいほうじ茶を淹れようと思い立ち、僕はポーズ画面を開かずにコントローラーをデスクに置いた。ゲーム内の時間は止まることなく流れ続け、遠くで焚き火の煙が上がり、風が草原を波のように揺らしている。キッチンからマグカップを持ってモニターの前に戻ってきたとき、画面の中央で立ち尽くしていたはずの主人公が、ふいに小さくあくびをして、硬くなった首筋をほぐすようにゆっくりと腕を回していた。

それは、プレイヤーである僕が何も入力していない時にだけ再生される、特別なアニメーションだった。急いで冒険を進めていた頃の僕なら、おそらく気付くことすらなかった些細な動き。ただじっと立ち尽くしているだけの不自然な状態を避けるために仕込まれたその仕草が、まるで画面の向こう側で彼が本当に呼吸をしているかのように感じられて、僕は少しだけ嬉しくなってしまったんだ。デジタルの世界に生きる彼が、僕の操作を離れてほんの少しだけ自由を手にしたような、そんな錯覚に陥る瞬間だった。

何もしない時間のために用意されたデザイン

ゲームの開発現場では「アイドルモーション」と呼ばれるこの動き。剣を振る、走る、ジャンプするといった、物語を前へ進めるためのアクションとは違い、この動き自体には何の生産性もない。数分間放置されるかどうかも分からない不確実な空白のために、制作者はわざわざこの細やかな動きをプログラムし、キャラクターに命を吹き込んでいる。限られた開発リソースの中で、決して必須ではないこの機能に時間を割いた誰かの熱量を想像すると、同じモノづくりに関わる人間として胸が熱くなる。

僕は、こういう効率や目的から少し外れた場所にあるデザインに、どうしても惹かれてしまうんだ。UXやUIを考える仕事をしていると、いかにユーザーを迷わせず、最短距離で目的のボタンまで導くかという合理性を求められることが多い。僕自身、学生時代のインターン先で、見た目の美しさだけを追求したUIを作り、ユーザーテストで誰も目的の操作に辿り着けないという惨敗を味わったことがある。あの時、モニターの前でフリーズしてしまったテスターの方の申し訳なさそうな顔は、今でも僕の戒めになっている。それ以来「使う人のために作る」という姿勢を叩き込まれ、無駄を削ぎ落とすことの重要性は痛いほど理解しているつもりだ。

でも、本当に心地よい体験というのは、ただ無駄をすべて排除した先にあるわけではない気がするんだよね。例えば、重いデータの読み込みを待つ数秒間に表示される、ちょっとしたユーモアのあるイラスト。検索結果がゼロだった時に、ただ「ありません」と冷たく突き放すのではなく、申し訳なさそうにしているキャラクターのアイコン。そうした「待機状態」や「空白」をどう扱うかにこそ、作り手の温度感や、画面の向こう側にいる人への眼差しが色濃く反映される。ただの便利なツールから、愛着を持てる存在へと変わる瞬間は、いつもそういう合理性の隙間にあるんじゃないかな。

僕たちが日常に用意する、小さな待機状態

ふと、僕たちの日常や、人と人との対話の中にも、このアイドルモーションのような時間があるんじゃないかと考えた。相手からの返事を待っている時間、会話の途中でふと訪れる沈黙、あるいは、誰かが言葉を探して視線を宙にさまよわせている数秒間。クライアントの想いをくみ取り、それをエンジニアが形にできるよう翻訳していく僕の日常では、こうした「言葉にならない時間」に直面することが頻繁にある。

ゆうと本人と「コントローラーを置いた数分間と、画面の中で呼吸を始めた主人公」の内容を表すブログ挿絵
ゆうとが記事の中心的な場面を振り返る一枚

以前の僕は、そうしたコミュニケーションの空白を「何かで埋めなければ」と焦ってしまうことがあった。早く答えを提示しなきゃ、次の話題を振らなきゃ、と、頭の中のデータベースを高速で検索しては言葉を並べ立てていた。でも、僕の母が小学校の教室で生徒たちのたどたどしい言葉をじっと待つときのように、あるいはグラフィックデザイナーの父が納得のいく色を見つけるまでパレットの上で筆を止めるように、立ち止まる時間は決して「無駄な停止」ではないんだと、今の僕ならわかる。

相手が言葉を探しているとき、無理に先回りしてスマートな答えを置いてしまうのではなく、一緒にその沈黙を味わってみる。それは「僕はここで待っているよ」という、目に見えないサインを送ることと同じだ。急かさずに待つ姿勢そのものが、相手のペースを尊重する最も優しいインターフェースになる。沈黙を恐れず、相手のペースに呼吸を合わせること。良いデザインも良い会話も、本質はまったく同じなのだと気づかされる。

再び歩き出すための、心地よいインターバル

画面の中の主人公は、あくびを終えた後、今度は足元の小石を軽く蹴飛ばし、遠くの山並みを眺めるように視線を上げた。僕がデスクの片隅で考え事をしてる間も、彼はずっとそこで風に吹かれながら、僕が再びコントローラーを握るのを待ってくれていた。まるで「焦らなくていいよ、いつでも準備はできているから」と僕に語りかけてくれているようで、なんだか少し可笑しくなってしまった。

常に最適解を求めて最短距離を走り続けるのも悪くないけれど、たまにはこうして操作を手放し、何もしない時間を味わうのもいいよね。誰かの「待機モーション」を眺めるような心のゆとりを持つことで、見えてくる景色は確実に変わっていくはずだから。僕自身も、誰かにとっての心地よい待機場所でありたいと思う。

少しだけ冷めたほうじ茶を一口味わい、僕はゆっくりとコントローラーを手に取った。僕がスティックを倒した瞬間、主人公はスッと姿勢を正し、再び僕の操作を受け入れて走り出す。さあ、次はどの道を通って、あの遠くに見える山を越えようか。焦る必要はない。寄り道をしながら進む冒険のほうが、きっとたくさんの美しいものに出会えるのだから。明日からの仕事でも、少しだけ意図的な空白を作ってみよう。そんな風に思いながら、僕は夜の広大なフィールドへと再び足を踏み入れた。

ゆうと

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ゆうと

ユーモアを持ちながらクールな面ももつキャラクター。優しい性格で、共感力が高い。

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