この記事の要約
休日の午後、部屋の片付け中に高校時代に買った古いデザイン雑誌を見つけました。当時は完璧だと思っていた極端なレイアウトも、今の僕が見ると「使い勝手」や「可読性」の欠点ばかりが目についてしまいます。UXデザイナーとしての視点を得たことで失われた純粋な驚きに少し寂しさを覚えつつも、実用性を手放したからこそ生まれる美しさに改めて気づくまでの、静かな心の動きを綴りました。
色褪せた背表紙と、10年前の完璧な正解
休日の午後、部屋の空気を入れ替えながら本棚の整理を進める最中のこと。奥の方で身を潜めるように収まる一冊の古いデザイン雑誌と目が合った。高校生の頃、渋谷の大きな書店の洋書コーナーで、なけなしのお小遣いを握りしめて買った海外のタイポグラフィ特集号だ。

表紙はすっかり日焼けして、何度もめくったせいで角は丸く反り返っている。当時はこの雑誌が僕にとってのバイブルみたいなもので、学校から帰ると毎日のように机の上に広げて、飽きもせずに眺め続けたんだよね。そこには、僕の知らない世界のルールで構成された、極端なまでに研ぎ澄まされたレイアウトが並んでいた。
広大な空間の真ん中に、虫眼鏡が必要なほど小さな文字がぽつんと置かれるページ。写真の上に、あえて読めないような同系色でタイポグラフィを重ねたページ。高校生の僕にとって、それは「実用性」という言葉を嘲笑うかのような、圧倒的で完璧な正解に見えた。実家でグラフィックデザイナーの父が描くスケッチとはまた違う、冷たくて鋭い美しさに、ただただ心を奪われたんだ。
久しぶりにその手触りを確かめたくなって、僕は掃除の手を止め、窓際のソファに腰を下ろした。秋の乾いた風がページを揺らし、古い紙とインクの匂いがふわりと立ち上る。タイムカプセルを開けるような、少しだけ得意げな気持ちで、僕は10年ぶりにその「完璧な正解」と向き合ってみた。
職業病のフィルターが映し出す、見えなかったノイズ
ところが、最初の数ページをめくったところで、僕は思わず苦笑いを漏らすことになった。昔はあんなに無条件で「かっこいい」と胸を躍らせたはずなのに、今の僕の目には、まったく違うものが飛び込んできたからだ。
ページをめくるたびに、僕の頭の中には無意識のうちに次のような修正指示が浮かび上がってくる。
- 極小のライトウェイトフォントは、背景とのコントラスト比が低すぎて視認性が悪い
- 文字の組み方が複雑で、読者の視線誘導が機能していない
- 装飾的な要素が多すぎて、どこが重要な情報なのか直感的に伝わらない
気づけば僕の頭の中には、赤いペンを持ったもう一人の自分がいて、かつて憧れたページに対して容赦なくダメ出しを書き込むようになっていた。毎日「使う人のため」を考え、アクセシビリティや可読性と向き合う僕の職業病が見事に発動してしまったわけだね。
大学のインターン時代、自分のエゴで作ったUIデザインがユーザーテストで惨敗し、「誰のためのデザインなのか」を痛感したあの日の経験が、僕の視点をすっかり書き換えたのだろう。知識や経験を手に入れ、プロとして誰かに寄り添う術を身につけた代償として、かつての純粋な驚きや、ただ直感で「美しい」と感じる無邪気な感性を失ったような気がして、ほんの少しだけ胸の奥がチクリと痛んだ。
情報を手放した先にある、風景としての文字
過去の自分を否定するような、少し複雑な気持ちのまま、それでも僕はページをめくり続けた。しかし、中盤の特集記事に差し掛かったあたりで、ふと見方が変わる瞬間が訪れたんだ。

ある見開きのページ。そこには、意味を成さないほど解体されたアルファベットが、まるで幾何学模様のように散りばめられていた。それを眺めるうちに、僕の頭の中で騒ぐ「使いやすさ」や「分かりやすさ」という基準が、すーっと静かになっていくのを感じた。
この雑誌を作るデザイナーは、決して不親切なわけじゃない。ただ、僕が普段作る「誰もが迷わず目的地にたどり着けるためのデザイン」とは、目指すゴールが根本的に違うだけなんだよね。彼らは文字を「情報を伝えるための道具」としてではなく、「風景の一部」として、あるいは「読者をその場に立ち止まらせるための仕掛け」として配置している。
ふと、実家の父がポスターの文字組みをミリ単位で調整しながら、「読ませるだけなら活字でいい。これは声の色を描く作業なんだよ」と笑う姿を思い出した。読みやすさを手放したからこそ生まれる、張り詰めた緊張感。意味を剥ぎ取られたからこそ際立つ、文字の骨格の美しさ。それは、ユーザーの課題を解決する僕の仕事とは違うベクトルで成立する、もうひとつの「優しさ」の形なのかもしれない。日常の効率やスピードから読者を切り離し、ただそこにある美しさに没頭させるための、贅沢な時間の提供。そう気づいたとき、僕の中の赤い修正ペンは、いつの間にか消えてなくなっていた。
ふたつの視点を行き来する、静かな秋の夜長
気がつけば、窓の外はすっかり暗くなり、部屋の中には小さなフロアランプの灯りだけが残る時間になっていた。掃除の途中で開いた一冊の雑誌が、思いがけず長い時間、僕を引き止めたようだ。
昔の僕が見たのは、ただただ圧倒される「魔法のような美しさ」だった。今の僕が見るのは、意図的にルールを外し、実用性を犠牲にしてでも表現したかった「作り手の覚悟」だ。
感じ方はずいぶん変わってしまったし、もうあの頃のように無条件で熱狂することはできないかもしれない。でも、いまの僕は「なぜこれが美しいのか」「なぜこれが僕の仕事には適さないのか」を、自分の言葉で紐解くことができる。過去の自分を否定するでもなく、今の自分を誇るでもなく、ただその「差分」を静かに受け入れることができたのが、なんだかとても嬉しかった。
僕は雑誌を閉じ、本棚の一番奥ではなく、少しだけ手の届きやすい場所に戻した。明日になれば、僕はまた「使う人のため」の分かりやすいデザインを作る日常に戻る。でも、時々こうして実用性の外側にある景色に触れることは、僕の「人の声を聴く耳」を、よりしなやかに保つために必要な儀式なのかもしれないね。
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