この記事の要約
昼食の準備中、ルッコラと胡桃のサラダを作りながら、自身の味覚の変化に気づいた一日について綴ります。かつては避けていた強い苦味が、今は心地よい輪郭として味わえるようになりました。無理に直そうとせず、自然と更新されていく感性の移ろいを見つめる時間です。
乾いたフライパンで弾ける胡桃の音と、香りの変化
秋晴れの昼下がり。台所に立ち、サラダに乗せるための胡桃を乾いたフライパンで煎っています。火にかけると、木の実特有の油分がじっくりと温まり、香ばしい匂いが台所いっぱいに漂い始めます。焦がさないよう木べらでゆっくりとかき混ぜていると、パチッという微かな音が響き、それが火を止める合図となります。熱せられた胡桃の表面には薄っすらと油が浮き上がり、秋の光を反射して艶やかに光っていました。

ボウルには、先ほど水洗いして水気を切ったルッコラをたっぷりと用意してあります。ギザギザとした葉の形はどこか野性味があり、手でちぎると、ツンとした青臭さとゴマのような独特の香りが指先に残ります。以前の私であれば、こうした香りの強い葉物野菜を自ら選んで買うことはありませんでした。サラダといえば、甘みのあるトマトや、クセのない柔らかなレタスで満たされているのが一番だと信じて疑わなかったのです。
水道水で葉の裏の泥を丁寧に洗い流していると、指先に伝わる水の冷たさに、ふと雪深い新潟で過ごした幼い頃の記憶が蘇ります。祖母の横に立ち、冷たい井戸水で野菜を洗う手伝いをしていたあの頃。祖母の節くれた指先は、どんなに冷たい水の中でも迷いなく動き、泥にまみれた根菜や葉をあっという間に美しい緑色へと変えていきました。当時の私はその手さばきを見つめるだけで精一杯でしたが、今こうして自分の手で野菜の汚れを落としていると、あの日の祖母の静かな呼吸までが伝わってくるような気がします。
避けていたはずの青い苦味がもたらす輪郭
粗熱が取れた胡桃を砕き、ルッコラの上に散らします。そこにオリーブオイルと岩塩をひと振りして和えるだけの簡素な一皿。一口運ぶと、まずルッコラの鮮烈な苦味が舌に触れ、その直後に胡桃のまろやかなコクが全体を包み込んでいきます。驚くべきことに、その強い苦味を私はとても美味しいと感じていました。口の中に広がる複雑な香りの重なりに、思わず目を閉じて味わいを確かめてしまいます。
いつの間に、私はこの味を好むようになったのでしょうか。かつては舌を刺すようなトゲにしか思えなかった要素が、今では全体の味わいに明確な輪郭を与えてくれる重要な存在に感じられるのです。甘さや柔らかさだけではぼやけてしまう輪郭が、一つの苦味によってぐっと引き締まり、立体的で奥行きのある味わいへと変化していきます。それは、平坦な風景に突然深い影が落ち、全体の景色がくっきりと浮かび上がる瞬間に似ていました。
かつて祖母が作ってくれた、春先の山菜の煮物を思い出します。フキノトウやワラビのほろ苦い味に、子供だった私は眉をひそめてばかりいました。どうしてこんな苦いものを大人は喜んで食べるのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。しかし今なら、祖母がその苦味の中に季節の移ろいや、土の下で眠っていた生命の力強さを感じ取っていたことがわかります。苦味を避けるのではなく、それを含めてまるごと味わい尽くす。その静かな豊かさに、ようやく私の舌が追いついてきたのかもしれません。
無理に克服しようとせず、時間をかけて広がる許容
ルッコラの苦味を、大人なら食べられるべきだと無理に克服しようと努力した覚えはありません。日々の生活の中で、様々な食材に出会い、色々な調理法を試し、時間をかけてゆっくりと感性が移ろっていった結果、気がつけば自然と受け入れられるようになっていたのです。自分の内側にある好きと嫌いの境界線が、知らず知らずのうちに書き換えられていく過程には、とても穏やかな驚きがあります。

この味覚の変化に気づいたとき、私は自分が誰かのお話に耳を傾けているときの感覚に似ていると思いました。千葉の相談室でお会いする方々も、時には鋭い後悔や、飲み込みがたい怒りを口にされることがあります。以前の私は、そうした強い感情のトゲに触れると、自分自身まで痛みを覚えてしまうことがありました。相手の痛みをそのまま引き受けてしまい、共に苦しくなってしまう夜が幾度もありました。
しかし今は、その尖った感情こそが、その人の本質や大切にしている願いの輪郭を教えてくれるのだと受け止めるようになっています。ルッコラ単体では強すぎる苦味も、胡桃の油分や塩のミネラルと交わることで、互いの長所を引き立て合う見事な調和を生み出します。それと同じように、人の心に刺さるトゲも、誰かの静かな相槌や寄り添う時間と交じり合うことで、その人だけの深い魅力や優しさに変わっていく瞬間があるのです。
交じり合うことで生まれる奥行きを味わう午後
自分が変わってしまったことを寂しく思う気持ちは不思議と湧いてきません。むしろ、新しい美味しさを知ることができた今の自分を、静かに祝福したいような気さえします。これからも、生活の端々で「あの頃は苦手だったのに」と微笑む瞬間が訪れるのでしょう。その度に、私は更新されていく自分自身の感性を、そのまま受け入れていきたいと思うのです。
食後の片付けを終え、窓辺の定位置で熱いストレートティーを淹れました。紅茶特有の心地よい渋みが、ルッコラの余韻と交ざり合い、口の中をさっぱりとさせてくれます。窓の外では、秋風が街路樹の葉を揺らし、光と影の模様を床に落としていました。その揺れ動く影を見つめていると、私たちの心もまた、一定の場所に留まることなく、常に揺らぎながら変化し続けているのだと実感します。
変わらないものに安心感を抱く一方で、変わっていくものの中に豊かさを見出すこともできる。今日のお昼ごはんは、そんな当たり前で大切なことを、静かに教えてくれました。明日の私はまた、スーパーの野菜売り場で別の新しい顔を見せるかもしれません。飲み終えたティーカップをシンクに置きながら、これからの人生で出会うであろう未知の味や、まだ見ぬ感情の手触りに思いを馳せます。どんな強い苦味も、いつか自分の中にある何かと混ざり合い、奥行きのある味わいに変わっていく。そう信じられる午後には、いつもより深い呼吸ができるような気がします。
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