この記事の要約

作業中、キーボードの押し間違いでデザインツールのUIパネルがすべて非表示になってしまった時のこと。すぐに元に戻すつもりが、広大な画面にぽつんと置かれた自分の作業途中のデータを見て、そのまま少し作業を続けてみることにしました。数値という頼もしい補助線を失ったことで、かえって自分の目と感覚だけでオブジェクトの重さを量る面白さに気づく。そんな、予定外の小さな寄り道から見えてきた風景を綴っています。

小指の誤爆が奪い去った、いつもの操縦席

10月も半ばに差し掛かると、夕方5時を過ぎたあたりから急に部屋の空気が冷えてくるのがわかる。デスクの脇に置いたお気に入りのマグカップからは、すっかり湯気が消えていた。そんな秋の夕方、僕はいつものようにデザインツールを開いて、新しいプロジェクトのワイヤーフレームを組んでいたんだ。画面の中には、無数のグレーの四角形と、仮のテキストが整然と並んでいる。集中力が高まってくると、キーボードを叩く指先は半ば無意識に動き出し、頭の中のイメージと画面上の変化が直結していくような感覚になる。

ゆうと本人と「消失したツールバーと、数字を手放したキャンバスの引力」の内容を表すブログ挿絵
ゆうと本人の雰囲気と記事の情景

作業も佳境に入り、コンポーネントを複製しようとしたその時。僕の左手の小指が、本来押すはずのないキーをかすめた。次の瞬間、画面の左右に鎮座していたレイヤーパネルやプロパティパネルが、スッと画面外へ退場してしまったんだ。ショートカットキーの誤爆による、UIの全非表示モードへの突入。普段からショートカットを多用していると、時々こういう予期せぬ挙動を引き起こしてしまうことがあるんだよね。

いつもなら、反射的にキーを押し直してすぐに元の状態に戻す場面だ。僕たちデザイナーにとって、レイヤーの重なり順や、ピクセル単位の数値を表示してくれるパネルは、飛行機のコクピットにある計器類のようなものだから。でも、その時の僕は、なぜかそのまま画面を見つめてしまった。計器類がすべて消え去り、ただ僕が作りかけた未完成のオブジェクトだけが、広大な真っ白な空間に浮かんでいる。そのがらんとした余白には、すぐには元に戻したくなくなるような、不思議な引力があったんだ。

補助線がない空間で、オブジェクトの重さを量る

試しに、そのままの状態でいくつかの要素を配置してみることにした。いつもなら、右側のパネルを見て「ここはマージン24px」「不透明度は60%」と、数値という絶対的な基準を頼りに作業を進める。けれど今は、その数値がどこにも表示されていない。フォントサイズをプルダウンで選ぶことも、カラーパレットのHEX値を直接打ち込むこともできない。キーボードの矢印キーとマウスのドラッグだけで、ただ自分の目だけを頼りにバランスを探っていくしかない状態だ。

最初は、どこか足元がおぼつかないような不安があった。要素同士の隙間が本当に揃っているのか、見出しの大きさがルール通りになっているのか、正解を教えてくれる補助線がないからだ。でも、5分、10分と手を動かしているうちに、これが意外と面白い体験だということに気づき始めたんだよね。

数字という補助線がないからこそ、「この見出しは少し重すぎるかな」「こっちのボタンはもう少し下に配置したほうが、全体のバランスが取れる気がする」と、要素そのものが持つ視覚的な重力に敏感になっている自分に気づいたんだ。普段は「24px空けるのがルールだから」と思考停止して配置している部分も、自分の目で見て「なんか窮屈だな」と感じれば、感覚のままに少しだけ広げてみる。それは、ルールや効率からは少し外れた、とても原始的な形作りの作業だった。

父の切り貼りと、視覚だけを信じる時間

その手探りの作業を続けながら、ふと世田谷の実家での光景を思い出した。グラフィックデザイナーだった父は、僕がまだ小さかった頃、よく自宅の作業部屋でポスターのレイアウトを作っていた。プリントアウトした文字や写真のパーツを、スプレーのりで台紙に貼り付けていく完全なアナログ作業だ。部屋にはいつも、インクの匂いと紙を切る乾いた音が満ちていた。

ゆうと本人と「消失したツールバーと、数字を手放したキャンバスの引力」の内容を表すブログ挿絵
ゆうとが記事の中心的な場面を振り返る一枚

父は時折、カッターを置いて椅子から立ち上がり、少し離れた場所から腕組みをして台紙を眺めていた。定規でミリ単位の長さを測るのではなく、全体の空気感や、文字の塊が持つ重さのバランスを、自分の目という最も原始的なセンサーで測っていたんだと思う。少し眺めては、ピンセットで文字を数ミリ動かし、また離れて見る。その繰り返しの中に、父なりの確かな正解があったのだろう。

デジタルの世界で育ち、ReactのコードやFigmaのプロパティで「正確な数値」を扱うことに慣れきっていた僕。でも、あの時の父と同じように、ただ視覚だけを信じて要素を配置していくこの時間は、どこか懐かしく、そしてとても自由なものに感じられたんだ。僕たちはいつの間にか、「見る」ことよりも「数値を合わせる」ことに時間を割くようになっていたのかもしれないな、なんて少しだけ反省したりもして。

パネルが戻った画面に、少しだけ残った余韻

結局、そのまま30分ほど作業を続けた後、いよいよ他の画面との整合性を取る必要が出てきて、僕は再びショートカットキーを叩いた。スッと左右から現れた見慣れたパネルたち。そこには、僕が感覚だけで配置した要素たちの、少しだけ半端な数値が並んでいた。23.5pxの隙間や、17pxのフォントサイズ。デジタルツールが求める完璧なグリッドから見れば、それはただの「ズレ」でしかない。

もちろん、最終的にはエンジニアに渡すために、それらの数値を綺麗な整数に整える必要がある。仕事としては、この計器類は絶対に欠かせないものだ。でも、数値を24pxや16pxに修正していく作業の中で、僕は少しだけためらいを感じていた。僕の目が「ここが一番美しい」と感じた半端な配置には、数値でガチガチに計算したときには生まれない、独特の柔らかさがあったような気がしたからだ。

完璧な数字が、必ずしも人間の目にとっての完璧とは限らない。そんな当たり前のことを、消えたツールバーが思い出させてくれた気がする。たまにはこうして、意図しない失敗から生まれる不便さに身を委ねてみるのも悪くないね。次にまた小指が滑ったときは、もう少しだけ長く、補助線のない世界を飛んでみようかな。そんなことを考えながら、すっかり冷え切ったマグカップのコーヒーを飲み干した。

ゆうと

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ゆうと

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