この記事の要約
千葉の農産物直売所で見つけたフェンネルの球根を台所で切り分けながら、未知の風味に対する戸惑いと好奇心が入り交じるひとときを綴ります。すぐに好きか嫌いかを決めず、違和感をそのまま抱えてみることで見えてくる心の余白や、誰かの思いに寄り添う際の「わからないまま待つ」という姿勢へと思考を巡らせた午後の記録です。
直売所で見つけた見慣れない白い球根
秋の空気が少しずつ乾燥を帯びてきた十月の半ば。風の冷たさに誘われるように、近所にある農産物直売所へ足を運びました。千葉は温暖な気候と豊かな土壌に恵まれ、直売所にはいつも瑞々しい野菜が所狭しと並びます。土のついた見慣れた根菜類に混じって、その日は見慣れない形の野菜がぽつんと置かれていました。ふっくらとした白い根元から、淡い緑色の茎が伸び、その先には羽のように細かな葉がふさふさと揺れています。添えられた小さな手書きのポップには「フェンネル(フィノッキオ)」とだけ書かれています。ハーブとしてのフェンネルは庭で育てた経験を持つものの、根元を食べる品種を直接手にとるのは初めてです。

ずっしりとした重みを感じながら持ち帰ったその白い塊を、台所のまな板の上にそっと置きました。玉ねぎのように層が重なり合っているのに、形は少し平べったく、どこか不器用な丸みを帯びています。表面にはうっすらと縦の筋が入っていて、指でなぞると微かな凹凸が伝わってきました。根元から切り落とされた茎の断面は瑞々しく、まだ土の冷たさを微かに残しています。普段の料理では手にしない未知の食材を前にすると、胸の奥で小さな好奇心が静かに波打ちます。レシピを検索すれば、きっとすぐに美味しい食べ方や調理法が見つかるはずです。でも今日はあえて何も調べず、この見知らぬ野菜と一対一で向き合ってみようと決めました。
窓の外では、秋の柔らかな日差しが風に揺れる庭の木々を照らします。急ぎの予定は何もない、穏やかな午後。まな板の上の白い塊を見つめていると、新しいものに出会ったときのほんの少しの緊張感と、これからどんな味に出会えるのだろうという期待が交差します。まずは半分に割ってみようと、戸棚から取り出した包丁の柄をしっかりと握りました。
包丁が立てる音と、鼻先をかすめる未知の匂い
刃先を白い球根の中心に当て、ゆっくりと力を込めます。ザクッという小気味良い音が台所に響き、みずみずしい断面が姿を現しました。幾重にも重なる真っ白な層は、まるで何かの年輪のようです。その瞬間、鼻先をかすめたのは、想像も及ばなかった不思議な匂いでした。セロリのような青々しさを持ちながら、どこか甘く、ツンとした清涼感も混ざり合っています。甘草やアニスに似ているとも言えるその独特の芳香は、私がこれまでに親しんできた和食の台所には存在しない異国の気配を放ちます。
薄くスライスした一片をつまみ、そのまま口へ運んでみます。シャキッとした歯触りの直後、先ほどの清涼感のある甘みが口いっぱいに広がりました。噛めば噛むほど、野菜というよりは薬草やスパイスに近いような、複雑な風味が鼻へ抜けていきます。美味しいのか、それとも苦手なのか。舌の上で広がる風味を探りながら、私の思考は少しの間、宙に浮いたまま止まりました。これまで味わったことのない感覚を前に、脳が過去の記憶の引き出しを次々と開けては、該当する記憶が見当たらず首を傾げるような状態です。
「好き」とも「嫌い」とも即座に結論を出せない。そんな曖昧な境界線の上に立たされたような感覚が、かえって新鮮に感じられました。大人になるにつれ、私たちは経験則から素早く物事を分類できるようになります。これは美味しい、これは苦手。これは役立つ、これは無駄。そうやって世界を整理することは効率的ですが、同時に「まだどちらでもない」という豊かなグレーゾーンを削り取ってしまうのかもしれません。口の中に残る不思議な余韻を味わいながら、私はこの違和感をもう少しだけ引き延ばしてみることにしました。
結論を急がず、違和感を味わうという選択
かつて看護師として過酷な医療現場に身を置いていた頃は、物事の白黒を瞬時に見分けることが何よりも求められました。迷っている暇はなく、常に次のような明確な判断を下し続ける日々でした。

- 患者さんの状態は安全か、危険か
- 処置の選択は正しいか、間違っているか
- 今すぐ介入すべきか、医師の判断を仰ぐべきか
その張り詰めたリズムは、いつしか私の日常生活にまで染み込み、出会うものすべてに対し「私にとって有益か、そうでないか」を無意識に仕分けする癖をもたらしました。
しかし、千葉へ移り住み、心理カウンセラーとして誰かの心に寄り添う日々を送る中で、その強張った癖は少しずつほどけてきました。人の抱える悩みや苦しみは、決して単純な二択で割り切れるものではありません。悲しみの中に小さな安堵が混ざっていたり、怒りの奥に深い寂しさが隠れていたり。その複雑な色合いは、すぐに理解できるものではないのです。目の前の人が紡ぎ出す声の真意がすぐには読み取れなくても、無理に枠へ押し込めず、ただ「今はまだわからない」という事実をそのまま抱き抱えておくこと。雪深い故郷で助産師を長年務めた祖母がよく語ってくれた「人の話をちゃんと聞くこと。それだけで半分は治る」という教えも、きっとそういう意味だったのだと、今なら深く頷けます。
目の前の現象をすぐに分析し、解決策を提示せず、ただその存在を否定せずに隣へ置いておく。それは、このフェンネルの独特な風味に対し「好きか嫌いか」の烙印を押すのをやめ、未知のまま味わい続ける今の私の姿勢と、どこか重なる気がします。わからないもの、馴染みのないものを排除せず、違和感を持ったまま共存してみる。その余白こそが、心に柔らかな風を通してくれるのでしょう。
わからないものと隣り合う、静かな午後
まな板の上に残った半分のフェンネルを、今度は少し厚めに切り分けました。オリーブオイルを回しかけ、軽く塩を振ってから、オーブンでじっくりと焼いてみることにします。熱を加えることで、あのツンとした清涼感がどう変化するのか。甘みが増すのか、それとも全く別の顔を見せるのか。耐熱皿に並べた白い断面が、オーブンのオレンジ色の光に照らされる様子をガラス越しに眺めます。焼き上がるまでの数十分間、部屋の中には少しずつ、先ほどとは違う丸みを帯びた香りが漂い始めました。生のときの鋭さが削げ落ち、どこか温かみのある甘い匂いです。
まだ完全に好きになれたわけではありません。次に直売所で見かけたとき、迷わず手に取るかどうかもわかりません。それでも、この見知らぬ野菜と対話するように過ごした午後のひとときは、私の中に確かな充足感をもたらしてくれました。すぐに答えを出さなくてもいい。白でも黒でもない状態を、ただそのまま楽しめばいい。オーブンから聞こえてくる小さな微かな音に耳を澄ませながら、温かいダージリンを淹れる準備を始めます。
窓の外は少しずつ西日が傾き、庭の草花が長い影を落とし始めています。焼き上がったフェンネルがどんな味に仕上がっているのか、期待とほんの少しの不安を胸に抱きながら、タイマーが鳴るのを待つ静かな午後。わからないものと隣り合いながら過ごすこの穏やかな余白を、これからも大切に守り続けたいと、心の中でそっと呟きました。
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