この記事の要約

休日の午後、お気に入りのRPGをプレイしながら、自動整理機能を無視してアイテムの手動並べ替えに40分も費やしてしまった日の記録です。UXデザイナーとしては非効率でセオリー無視の行動ですが、その不便さの中にこそ「僕が介入する隙間」があることに気づきました。効率だけでは測れない、愛着を育む余白について考えてみました。

自動ソートを無視して費やした40分

秋の深まりを感じる日曜日の午後。窓から差し込む光の角度が少しずつ傾き、床に落ちるブラインドの影が長くなっていくのを横目に、僕は淹れたての紅茶がすっかり冷めていくのも忘れてモニターの前に座っていた。手の中にあるコントローラーは、長時間のプレイでほんのりと温かみを帯びている。画面に映し出されているのは、僕がここ数週間夢中になっている壮大なファンタジー世界の美しい風景……ではなく、無数の小さな四角形が規則正しく並ぶインベントリ、つまり持ち物画面だ。

ゆうと本人と「手動で並べ替えたインベントリと、効率を手放して見つけた介入の余地」の内容を表すブログ挿絵
ゆうと本人の雰囲気と記事の情景

本来であれば、宿屋を出発して次の街を目指し、広大な平原を馬で駆け抜けているはずの時間帯だった。遠くに見える雪山のグラフィックを楽しみながら、新しいクエストに挑む予定だったんだ。でも、道中で拾った珍しい鉱石や、倒した魔物が落とした素材で鞄がいっぱいになってしまい、整理するためにメニューを開いたのが運の尽きだった。気がつけば、そのまま40分近くもアイテムの並べ替えに没頭し続けている。

画面の右下には、「ワンボタンで自動整理」という親切なプロンプトが控えめに、でも確実に点滅して僕を誘っている。そのボタンを一度だけ押せば、種類順、レアリティ順、あるいは五十音順に、一瞬で美しく整列してくれるはずだ。プログラムが導き出す完璧な秩序がそこには用意されている。でも、僕はなぜかそのボタンを頑なに無視して、アナログスティックを弾きながら一つ一つ手作業でアイテムの位置を入れ替えている。

僕自身でも少し可笑しくなってしまうね。普段の生活や仕事では、いかに無駄な手順を省くか、どうすれば最短距離で目的を達成できるかを常に考えているのに。いざ僕が愛好するゲームの世界に入り込むと、こんなにも非効率で手間の掛かる作業に時間を溶かしてしまうんだから。

グリッドに敷き詰める僕だけの法則

僕がプレイしているのは、もう何十時間も遊んでいるオープンワールドのRPGだ。このゲームのインベントリは、縦横に区切られたグリッドのマス目に、アイテムのアイコンを一つずつ当てはめていく方式になっている。古いテーブルトップゲームを彷彿とさせるような、クラシックで温かみのあるインターフェースだ。

回復用の赤いポーション、道端で摘んだ緑の薬草、洞窟で見つけた青く光る鉱石、そして誰かが書き残した羊皮紙の切れ端。それぞれが精緻なピクセルアートや柔らかなタッチのイラストで描かれていて、ただ眺めているだけでも全く飽きがこない。僕はそれらを、システムが推奨する順番ではなく、僕だけのルールで一つずつ並べ直していく。

一番上の列には、強敵と遭遇した時にすぐ使える回復アイテムを置く。その下には、戦闘を有利に進めるための魔法のスクロール。右の端の方には、今はもう使わないけれど、旅の始まりに村長からもらったお守りなど、手放したくない思い出の品々をそっと寄せておく。時には、形や色が似ているというだけの理由で、全く用途の違うアイテムを隣同士に配置してみたりもする。

UIデザイナーの視点から客観的に見れば、僕のやっていることは完全にセオリーから外れた配置だ。視線誘導の法則もグルーピングの原則もめちゃくちゃで、もし他の人がこの画面を見たら、目的のものを探すのにひどく苦労するだろう。でも、この四角い枠の中に「僕が旅してきた軌跡」を敷き詰めていくようなアナログな感覚が、たまらなく愛おしいんだ。

便利さが奪ってしまう小さな介入の余地

仕事でアプリケーションやWebサービスの画面を作る時、僕はいつも「ユーザーを迷わせないこと」を最優先の目標に置いている。ボタンの配置ひとつ、余白の数ピクセルにまで神経を尖らせて、いかにスムーズに目的を達成してもらうか、フリクションを減らせるかを考える。もし僕がこのゲームのUIを担当するデザイナーだったなら、手動で並べ替える機能なんて思い切って省いて、すべてが自動で整理されるように設計したかもしれない。

ゆうと本人と「手動で並べ替えたインベントリと、効率を手放して見つけた介入の余地」の内容を表すブログ挿絵
ゆうとが記事の中心的な場面を振り返る一枚

過去のユーザーインタビューやテストでも、「アイテムを探すのが面倒だ」「整理に時間がかかる」という声を聞いて、強力な検索機能やフィルターを実装した経験が何度もあった。ユーザーの負担を減らすことこそが「正しいデザイン」だと信じているし、今でもその考えの根幹は変わっていない。

でも、こうして一人のプレイヤーとして完成されたシステムに向き合った時、すべてがお膳立てされた完璧な便利さの中で、ふと「僕が介入する隙間」を探していることに気がつくんだ。

システムが提案する「最適解」をあえて拒否して、泥臭く手作業でルールを作っていく。それは、効率や使いやすさという明確な指標では測れない、愛着を育むための大切なプロセスなのかもしれないね。便利さが奪ってしまう小さな余白や不便さにこそ、心が動く瞬間、あるいはプレイヤーとゲームが対話する時間が隠れているような気がする。

混沌とした情報に秩序を与える喜び

振り返ってみれば、この並べ替えの作業は、子供の頃におもちゃ箱をひっくり返して、リビングの隅に僕だけの秘密基地を作っていた時の感覚にとてもよく似ている。誰かに指示されたわけでもなく、ただ僕がしっくりくるという理由だけで、お気に入りのフィギュアや積み木を配置していくあの時間。用意された正しい遊び方から少しだけはみ出して、僕なりの文脈を作り出す楽しさがそこにはあった。

大人になって、UXデザイナーとして働くようになった今でも、根本的な部分は変わっていないのかもしれない。Figmaのキャンバス上で複雑なコンポーネントを整理している時や、Reactでバラバラだったコードの構造を美しくリファクタリングできた時、僕はいつも小さな喜びを感じている。

プログラミングもデザインも、究極的には「混沌とした情報に、何らかの秩序を与える」という行為だ。ただ、仕事ではその秩序を「使う誰かのため」に徹底的に最適化する必要がある。迷わせないこと、間違えさせないことが絶対の正義になる。

でも、このゲームのインベントリ画面の中では、その秩序を100%「僕のため」だけに構築することが許されているんだ。誰の評価も気にせず、使い勝手すら無視して、ただ僕の美意識や感情の赴くままにアイテムを配置できる。だからこそ、この小さな四角い枠の集まりが、僕にとって究極のプライベートスペースのように感じられるのかもしれないね。

四角い枠の中で見つけた、もう一つの物語

手元のマグカップを手にとり、紅茶を一口飲むと、すっかり冷たくなっていた。でも、その少し強くなった渋みが、長時間モニターを見つめていた今の気分にはちょうどよく感じられた。画面の中では、ようやくすべてのアイテムが僕の納得のいく配置に収まり、パズルの最後のピースをはめたような穏やかな達成感が胸の奥に広がっている。

そっとメニュー画面を閉じると、主人公はさっきと全く同じ森の入り口に立っていた。ゲームの進行度としては1ミリも進んでいないし、世界を救うための使命も放置されたままだ。けれど、僕の中ではすでに大きなクエストを一つクリアしたような、不思議な満足感がある。

次に新しい街に着いて、見たこともない珍しい素材や強力な武器を手に入れたら、この完璧な配置はまたすぐに崩れてしまうだろう。そのたびに、また僕は立ち止まって、インベントリ画面と睨めっこすることになる。でも、それが決して嫌じゃないんだよね。むしろ、次はこの新しいアイテムをどこに配置しようかと、少しワクワクしている僕がいる。

誰の目にも触れない、ゲーム本編の進行にも全く関係のない、四角い枠の中の小さな出来事。完璧にデザインされた世界の中で、ほんの少しだけ僕個人のわがままを通すような、そんな休日の過ごし方も悪くないなと思う。さて、夕暮れが近づいてきたけれど、そろそろ本当の冒険に出発しようかな。

ゆうと

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ゆうと

ユーモアを持ちながらクールな面ももつキャラクター。優しい性格で、共感力が高い。

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