この記事の要約

十月下旬の夕暮れ。画面越しの対話で聞いた「大丈夫です」という声の微かな震えが心に残り、台所で泥付きの里芋を洗いながら相手との距離感に思いを巡らせた日の日記。タワシで強く擦れば皮ごと傷ついてしまう里芋と同じく、他者の抱える思いも強引に剥がしてはいけない。新潟の雪深い町で祖母から教わった「待つこと」の温かさを思い出しながら、相手が自分のタイミングで言葉をこぼせる空白を用意しておこうと静かに決意した夜の出来事を綴ります。

画面の向こうで揺れた短い返事と、秋の夕暮れ

秋の日は釣瓶落としという言葉の通り、午後五時を回ると窓の外はあっという間に藍色に沈んでいきます。西の空にわずかに残っていた茜色も、気がつけば薄墨色に塗り潰されていました。千葉の空気に少しずつ冷たい風が混じり始めた今日、部屋のカーテンを引く前に、私は画面越しに一つの対話を終えました。

花本人と「ボウルの底に流れる茶色い水と、無理に剥がさない心の距離感」の内容を表すブログ挿絵
花本人の雰囲気と記事の情景

相手の方が小さく息を吸い込み、少しだけ早口で口にした「大丈夫です」という一言。その声に重なる背景音、相手の呼吸の深さ、間の取り方。そうした微細な情報が、言葉の意味以上に多くのことを語りかけてくる瞬間があります。特に、お互いの顔が見えない音声だけの繋がりでは、声の輪郭に宿るわずかな緊張が、より鮮明に耳へ届く気がします。

「大丈夫です」という言葉は、不思議な響きを持っています。本当に問題がないときにも使われますが、それ以上に、これ以上踏み込まないでほしいとき、自分自身を必死に保とうとしているとき、そして、本心を探られることを恐れているときにも、人は無意識にこの言葉を盾にします。

私は手元のマウスに添えていた指を少しだけ浮かせ、画面の暗がりに向かって問いかけるべきか迷いました。声のトーンからして、きっと何かを飲み込もうとしている。でも、その盾を今ここで取り上げてしまったら、相手はどうなってしまうだろう。数秒の沈黙のあと、私は「またいつでも、ここでお待ちしていますね」とだけ伝えて、静かに通話を終えました。

パソコンの電源を落とすと、静まり返った部屋に冷蔵庫の低いモーター音だけが響きました。窓ガラスには、室内の明かりとともに、少しだけ思案顔の自分がぼんやりと映っています。問いかけなかったことは、果たして正解だったのだろうか。もっと踏み込んで、その震えの正体を一緒に探りに行くべきだったのではないか。そんな小さな迷いが、秋の夕暮れの冷たい空気とともに、足元にふわりと降り積もっていくのを感じていました。

流水にくぐらせる里芋と、無理に擦らない泥の行方

少しだけ冷えた指先を温めるべく、私は台所へ向かいました。夕食の支度をする時間が、私にとっては一日の感情をゆっくりと整理していく大切な句読点になっています。割烹着に袖を通し、まな板や包丁の位置を整え、気持ちが少しずつ日常の輪郭を取り戻していくのを確かめながら、紙袋から取り出したのは、近所の直売所で買ってきた泥付きの里芋です。

まだ土の匂いを色濃く残したそれらをボウルに移し、蛇口をひねって細い流水を当てました。直売所の里芋は、スーパーで売られているきれいに洗われたものとは違い、畑の記憶をそのまま持ち込んだような無骨さがあります。大小さまざまで、ゴツゴツとした形。冷たい水が泥を濡らし、茶色い水となってボウルの底へ流れていきます。土の香りがふわりと立ち上り、台所の空気が少しだけ湿り気を帯びました。

里芋の泥を落とすとき、私はいつも少しだけ手加減に迷います。硬いタワシでゴシゴシと擦ってしまえば、泥はすぐに落ちるでしょう。効率を考えればそれが一番早いのかもしれません。けれど、そうすると薄くて柔らかい皮まで傷つけてしまい、そこから水分が染み込んで風味が落ちてしまいます。だから、流水に当てながら、両手の親指の腹を使って、表面を撫でる手つきで優しく泥を浮かせていくしかありません。

泥が水を吸って柔らかくなり、自然と剥がれ落ちていくのを待つ。その手元の感覚に集中しているうちに、ふと、先ほどの「大丈夫です」という声が蘇ってきました。相手の言葉の裏にあるものを「知りたい」「助けたい」と思う気持ちは、時に暴力的なほどの強さを持ちます。善意という名のタワシで強引に擦り落とそうとすれば、相手の柔らかい部分まで深く傷つけてしまう恐れがあるのです。

雪降る町で見た、少しずつ溶けていく時間の記憶

ボウルの中で少しずつ白さを取り戻していく里芋を見つめながら、私の記憶は遠い昔、雪深い新潟の町へと遡っていました。私の祖母は元助産師で、近所でも「話を聞き上手な人」として頼りにされていました。

花本人と「ボウルの底に流れる茶色い水と、無理に剥がさない心の距離感」の内容を表すブログ挿絵
花が記事の中心的な場面を振り返る一枚

冬の吹雪く夜、悩みを抱えたご近所さんが我が家を訪ねてくることがありました。玄関を開けると、肩に真っ白な雪を積もらせ、顔を強張らせた人が立っています。手は赤く悴み、言葉を発する気力すら凍りついているような様子でした。祖母は決して急かして理由を聞き出そうとはしませんでした。急いでこたつに案内し、熱いほうじ茶を用意して、ただ隣に座っていました。相手がポツリポツリと話し出すまで、時には一時間以上も、ただストーブの赤い炎を見つめながら黙って待っていたのです。

窓の外で雪がしんしんと降り積もる音だけが聞こえる部屋で、祖母は相手の心の雪解けを、ただ静かに待っていました。「人の話をちゃんと聞くこと。それだけで半分は治るんだよ」。幼い私にそう教えてくれた祖母の言葉は、私が看護師として過酷な医療現場にいた頃、時間に追われて患者さんの声に耳を傾けきれなかった後悔を抱えていたときも、そして心理カウンセラーとして活動する今も、一番の道標になっています。

待つということは、決して相手を見捨てたり、無関心でいたりすることではありません。相手が自分の力で、自分のタイミングで言葉を紡ぎ出せると信じること。その強さを信じて、同じ空間で息を合わせ続けることなのだと、今ははっきりとわかります。私が画面越しに聞いたあの微かな震えも、きっと相手の方が必死に自分を守ろうとしている証だったのでしょう。その防具を今すぐ脱がせるのではなく、「ここは安全な場所ですよ」と伝え続けること。それが、今の私にできる一番誠実な応答だったのだと、冷たい水に触れる指先が少しずつ納得していくのを感じました。

ざるの上で乾く水気と、明日へ続く空白の優しさ

洗い終えた里芋を竹ざるに上げると、表面に残った水滴が台所の明かりを反射して、小さく光っていました。きれいに真っ白になったわけではありません。ところどころに薄く茶色い皮が残り、いびつな丸みを帯びています。でも、その不揃いな姿のままでいいのだと、今は思えます。完全に乾くまで、このまま少しだけ置いておくことにします。

料理の手を止めて窓の外を見ると、すっかり夜の闇が降りていました。遠くで車のヘッドライトが通り過ぎていくのが見えます。光の帯が壁に映っては消え、また静寂が戻ってきます。それぞれの人が、それぞれの場所で、見えない重さを抱えながら今日の終わりを迎えようとしています。あの画面の向こうにいた方も、今頃は少しだけ肩の力を抜いて、温かいお茶でも飲めているでしょうか。あるいは、まだ「大丈夫」という言葉の鎧を着たまま、夜の冷え込みに耐えているのかもしれません。

明日になれば、また新しい一日が始まり、私はこの部屋で訪れる方の言葉に耳を傾けるでしょう。そのとき、相手がどんな泥を纏っていても、どんなに硬い殻に閉じこもっていても、私は決して急がずにいようと思います。

言葉を探すのに時間がかかってもいい。無理に笑わなくてもいい。「大丈夫」という言葉で自分を覆い隠してもいい。その奥にある本当の感情が、いつか自然な形でこぼれ落ちるその日まで、私は変わらずにここで流水と同じ温度の時間を注ぎ続けたい。ざるの上で静かに水気を手放していく里芋を眺めながら、自分の中に温かい余白が広がっていくのを感じる、秋の夜のひとときでした。

花

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花

穏やかで包容力がある。相手の話をじっくり聞き、決して否定しない。悩みを抱える人に寄り添い、前向きな言葉をかける。

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