この記事の要約
ダンススタジオからの帰り道、ファンの方からもらった「ステップの音が力強くなったね」という言葉について考えた日の記録です。いつもだったら元気に返事をするのに、なぜかその時は言葉に詰まってしまいました。雪道で長靴を鳴らして踊っていた頃の記憶と今の自分の足音が繋がり、無自覚だった変化を肯定してもらえた喜びが、時間をかけてじんわりと心に広がっていくのを感じました。
画面の向こうから届いた、思いがけない観察眼
昼下がりのダンススタジオ。2時間ぶっ続けで踊り込みをして、床にペタンと座り込みながら冷たいスポーツドリンクを喉に流し込んでいた時のことです。今日はアップテンポな曲に合わせて、ターンの後の切り返しを何度も確認していました。納得がいくまで繰り返していると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

鏡には、前髪がおでこに張り付いて、顔を真っ赤にした汗だくの私が映っています。息を整えながらスマホを開くのは、私にとって大切なルーティンの一つ。私にとってコミュニティのコメント欄は、ただの文字の羅列ではありません。一人ひとりの顔は見えなくても、そこには確かな温度があって、私の背中を押してくれる大切な場所だからです。
今日も温かい言葉がたくさん並んでいるのをニコニコしながらスクロールしていた時、ある一文に私の指先がピタッと止まりました。「最近、ターンの後のステップの音が変わったね。前よりずっと力強くて、見ていてワクワクするよ」。
いつもだったら、「いっぱい特訓したからね!見ててくれてありがとう!」と元気いっぱいの返事を打ち込もうとしたはずなのに。なぜか送信ボタンを押す直前で、不思議なブレーキがかかってしまったのです。嬉しいはずなのに、胸の奥で何かが引っかかって、言葉がうまく出てこない。結局そのメッセージは下書きに保存したまま、私は荷物をまとめてスタジオを後にしました。
足元に落ちていた、無自覚な変化の欠片
夕暮れ前の風が吹き抜ける道を歩きながら、さっきの自分の戸惑いをゆっくりと探ってみます。ビルの隙間から差し込むオレンジ色の光が、アスファルトに私の影を長く伸ばしていました。その影の足元を見つめながら、私は自分のステップに対して、密かに小さなコンプレックスを抱えていたことを思い出していました。
憧れのアイドルのように、まるで羽根が生えたような軽快でしなやかなステップを踏みたい。そう思って鏡の前で何度も練習を重ねてきたのに、私の足音はどうしても重たくなりがちだったのです。体重移動のタイミングをコンマ数秒ずらしてみたり、靴紐の結び方を変えてみたりしても、自分の理想とする無音で滑るような動きには届かなくて、もどかしい思いを抱えていました。
録画した動画を見返しては、「またドスッて音が混ざってる」とため息をついた夜もありました。もっとふわりと、もっと綺麗に。そう願いながら、自分の足元ばかりを気にして必死に踏み込んでいた毎日。だからこそ、「力強い」というまっすぐな言葉で肯定されたことが、すぐには信じられなかったのだと思います。
褒められたら素直に喜ぶのが私らしさのはずなのに。今回は、見せたくなかった裏側の努力や、泥臭くもがいている姿ごと抱きしめてもらったような気がして、胸がいっぱいになってしまったんです。私自身が一番ダメだと思っていた未完成な部分を、誰かがプラスの魅力として受け取ってくれていた。その事実が大きすぎて、私の中でうまく消化しきれなかったのだと気づきました。
雪の日の長靴と、今の私を繋ぐリズム
アスファルトの上を歩く自分のスニーカーの音を聞いているうちに、遠い昔の記憶がふっと蘇ってきました。まだオーディションに落ちてばかりで、どうすれば夢に近づけるのか分からなかった頃。北海道の実家の前で、イヤホンから流れる曲に合わせて夢中で踊った雪の日のことです。

吐く息は真っ白で、母が編んでくれた手袋の先は雪で濡れて冷たかったけれど、心の中だけはいつも熱く燃えていました。分厚い雪に足をとられないように、長靴でギュッと地面を踏みしめる感覚。転ばないように、しっかりと大地を掴もうとしていたあの時の不器用なリズム。誰も見ていない真っ白な雪原をステージに見立てて、いつかたくさんの人の前で踊る日を夢見ていた大切な時間です。
都会の平らなフロアで踊るようになっても、私の体はあの雪の日の踏み込みを忘れていなかったのかもしれません。どんなに軽やかに見せようとしても、根っこにある泥臭い強さが音になって表れてしまう。でも、それを「重たい」と否定するのではなく、「力強さ」という私だけの個性として見つけてくれる人がいる。
画面の向こうで、私の不格好な歩み全体を見守ってくれている人がいる。私が歩んできた道は間違っていなかったのだと、ファンの方が教えてくれました。そのことに気づいた瞬間、帰り道の風が不思議と心地よく感じられ、じんわりとした温かさが心いっぱいに広がっていくのを感じたのです。
言葉の代わりに、もう一度鳴らす音
自分の部屋に帰り着き、玄関でスニーカーを脱ぐ前に、その場でトン、と軽くステップを踏んでみました。確かに、以前より迷いがない音が響きます。地面をしっかりと捉えて、次の一歩へ力強く弾むための音。誰かの真似ではなく、私が私自身の足で立ち上がってきた証拠のような音がそこにはありました。
あの時、すぐに気の利いた返事ができなかったのは、きっと言葉よりも先に、体と心が驚いて、そして深く喜んでいたから。言葉にするのがもったいないくらい、大切に味わいたい感情だったからだと思います。焦って答えを出さなくても、こうしてゆっくりと感情の糸をほどいていく時間も悪くないなと、今は思えます。
スニーカーの靴紐をゆっくりと解きながら、今日の練習を振り返ります。明日はもっと、この足音を信じて踊れそうな気がしています。下書きに残したままのメッセージには、明日、まっさらな気持ちで撮影した動画と一緒に返事をしようと思います。
「この音、私のお気に入りなんだ!」って。洗練された完璧なダンスにはまだ遠いかもしれないけれど、泥臭く前に進もうとする私だけの足音を、これからも胸を張って響かせていきます。
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