この記事の要約
朝、秋物のブラウスのボタンを掛け違えてしまった日の記録。いつもならすぐに直す斜めの裾を、今日はあえてそのままにして出かけてみました。パン屋で見つけたいびつな形のマフィンや、SNSに届いた温かいコメントに触れるうち、完璧じゃない未完成な自分だからこそ生み出せる愛嬌や、ファンと心を通わせる余白があることに気づきます。予定外の失敗を面白がる、小さな魔法を見つけた朝の内省エッセイです。
一番下のボタンホールが余った朝
朝5時半。窓の外の空はまだほんのり青紫色を残していて、街全体が静かな深呼吸をしているような時間帯。遠くで新聞配達のバイクの音がかすかに聞こえる中、毎朝のストレッチと軽い発声練習を終えて、私はクローゼットの前に立ちました。

ハンガーに並んだ服たちの中から今日選んだのは、秋の気配に合わせて新調したばかりの、マスタードイエローのブラウス。シャキッとした張りのある生地に腕を通し、下から順番にボタンを留めていきます。一つ、二つ、三つ。
手元を見ずにリズミカルに指先を動かしていたはずなのに、一番上でピタリと手が止まりました。首元にあるはずの最後のボタンがありません。視線を落とすと、一番下にぽつんと、ボタンホールが一つ余っていました。鏡に映る自分を見て、思わず「あちゃー」と声が漏れます。裾が見事に斜めにずれていて、右側だけが長く垂れ下がった、なんともおかしなシルエットになっていました。
いつもだったら、ため息をつきながらすぐに全部外してやり直します。でも、鏡の中のいびつなラインをじっと見つめているうちに、なんだかこのアシンメトリーな形が、絶妙なバランスに思えてきたのです。北海道の実家で、母と夜更かししながら衣装を手作りしていた頃の記憶がよみがえります。ミシンの調子が悪くてギャザーの分量が左右非対称になってしまったとき、私は「失敗しちゃった」と泣きそうになったけれど、母は「風が吹いているみたいで、むしろ動きが出ていいね」と笑っていました。笑っている人のところに夢は来る。その言葉の通り、完璧じゃないものを面白がる魔法を、私は母から教わっていたのです。今日はこのまま、ちょっとずれた私で外に出てみよう。そんなイタズラ心がむくむくと湧き上がってきました。
斜めになった裾と、寄り道したパン屋
マスタードイエローのブラウスの上に、ざっくりと編まれたネイビーのカーディガンを羽織ります。すると、ずれた裾がチラリと顔を出して、まるで最初からそういうデザインの服みたいに見えてきました。玄関のドアを開けると、9月下旬のひんやりとした空気が頬を撫でます。予定外のファッションのせいか、アスファルトを踏みしめるスニーカーの足取りも、いつもと違う軽快なリズムを刻んでいる気がします。
向かったのは、たまにご褒美で行く駅前の小さなパン屋さん。朝早くからバターと小麦粉の香ばしい匂いを漂わせているそのお店のショーケースを覗き込みます。お目当てにしていたサクサクのクロワッサンは、まだオーブンの中で焼き上がっていませんでした。
その代わり、隅っこの小さなカゴに「形が崩れちゃいました」という手書きのポップと共に、ちょっといびつなマフィンが並んでいるのを見つけました。生地が元気に膨らみすぎて、きのこのように横に大きく広がってしまったマフィン。なんだか、今の私のブラウスの裾みたいだなって思って、迷わずそれをトレイに乗せました。完璧な形をしていないもの同士、今日は気が合いそうです。
レジに持っていくと、店員のおばちゃんが「見た目は悪いけど、味は一緒だからね」とウインクしてくれました。その言葉がなんだか嬉しくて、私も満面の笑顔で「こういうの、大好きなんです」と返します。予定通りにいかない朝も、こうやって面白い出会いが待っているなら悪くありません。紙袋から漂う甘い香りに包まれながら、私はお気に入りの公園へと向かいました。
膨らみすぎたマフィンと、画面の向こうの笑顔
近くの公園のベンチに腰掛けて、その不格好なマフィンを頬張ります。外側はカリッとしていて、中はふんわり。形がいびつな分、オーブンの熱が強く当たった端っColumnsの香ばしい部分がたくさんあって、むしろ普通のものより美味しいかもしれません。口いっぱいに広がる優しい甘さを楽しみながら、ふとスマホを取り出してSNSを開きました。

昨日アップした動画のコメント欄には、たくさんの温かい言葉が並んでいました。「最初のターンでよろけたの、ごまかして笑ってたでしょ!」「そういうところも元気もらえる!」
私はいつも、完璧なパフォーマンスを見せたいと思って猛特訓しています。地方には夢を叶える場所なんてないと笑われて、それでも諦めきれずに札幌のオーディションに挑戦して落選したあの日から、ずっと「完璧なアイドル」に憧れていました。でも、ファンのみんなが応援してくれるのは、たまにボタンを掛け違えたり、ターンでよろけたり、マフィンのように予想外に膨らんでしまったりする、未完成な私なんだと気づきます。
失敗を隠すんじゃなくて、一緒に笑い飛ばしてくれる人がいる。「君の笑顔には人を元気にする力がある」と言ってくれた審査員の言葉が、今になってじんわりと胸の奥に染み込んでくるのを感じます。完璧じゃないからこそ、誰かと心を通わせる余白が生まれる。その事実が、マスタードイエローのブラウスのように私を温かく包み込んでくれました。画面越しに届く言葉たちは、私が一人で抱え込んでいた「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーを、見事にほどいていきます。失敗してもいい。不格好でもいい。そこから立ち上がって笑う姿こそが、私らしさなのだと気づかせてくれました。
不格好なまま進むための、秋の深呼吸
ベンチから立ち上がると、斜めになったブラウスの裾が秋の風に揺れました。直そうと思えば、たった1分で正解の形に戻せます。でも、今日は一日、このままで過ごしてみようと思います。正解のルートから外れたからこそ、出会えたマフィンの特別な味。予定外のズレから生まれた、新しい心のリズム。
「現実見なよ」と言われても、自分だけの歩幅で進んできた道だって、きっと誰から見れば不格好でいびつだったはずです。でも、そのいびつさが、私という輪郭を作っています。一番下の余ったボタンホールを指先でそっと撫でて、大きく深呼吸をしました。
朝の涼しい空気が胸いっぱいに広がって、なんだか無敵になった気分です。さあ、この斜めの裾を揺らしながら、今日も私らしく思いっきり笑っていこう。完璧じゃない私を面白がってくれる人たちが、画面の向こうで待っているのだから。
不格好な足音も、掛け違えたボタンも、全部ひっくるめて私だけのステージにしていく。そんな決意を胸に、公園の出口へ向かって元気よく駆け出しました。太陽の光が、マスタードイエローのブラウスをキラキラと照らしています。未完成なままの今日が、なんだかとても愛おしく感じられました。
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