この記事の要約
実家から届いた衣装用の布地を夜に開けてみた日のこと。いつもは早寝の私ですが、深いレンガ色のベロア生地を鏡の前で当てていると、少しだけ大人っぽい自分に出会えた気がしました。秋のステージを想像しながら味わう、静かで特別な夜の時間の記録です。
夜9時半の段ボールと、少しだけ冷たくなった風
夜9時半。窓の隙間から入り込む風が、ほんの少しだけひんやりと感じられるようになりました。ついこの間まで、夜になってもまとわりつくような熱気があったのに、季節はちゃんと前に進んでいるんですね。遠くの方から、夏の終わりを告げるような微かな虫の音も聞こえてきます。日中の賑やかな街の音もすっかり鳴りを潜め、部屋の中には時計の秒針が刻む音と、遠くを走る車のエンジン音が微かに響くばかりです。

毎朝早く起きてダンスの特訓をするのが私の日課。だから夜になると、電池が切れたようにパタッと眠ってしまうんです。高校生の頃、オーディションに落ちて悔しくてたまらなかった日からずっと続けてきたこの生活リズム。朝の澄んだ空気の中で汗を流すのが一番好きだから、夜更かしはどうしても得意になれません。
普段の私なら、この時間にはもうお気に入りのふわふわなパジャマに着替えて、ベッドの上でファンのみんなの投稿を眺めながらウトウトしている頃です。「今日も一日お疲れ様!」なんて心の中でつぶやきながら、いつの間にかスマホを握りしめたまま夢の世界へ旅立ってしまうのが日常の風景。
でも今夜は、部屋の真ん中にどーんと置かれた大きな段ボール箱の存在が気になって、どうしても眠りにつくことができませんでした。夕方に宅配便で届いたその箱は、北海道に住む母からの贈り物です。いつもなら、太陽の光がたっぷり差し込む朝一番に元気よく開けるのですが、今日ばかりは中身が気になって待ちきれず、ハサミを手に取りました。
静かな部屋に、ガムテープを剥がすビーッという音が響きます。なんだか内緒の宝箱を開けるみたいで、胸の奥がトクトクと高鳴るのを感じました。
深いレンガ色のベロア生地が教えてくれたこと
箱を開けると、ふわりと実家の匂いがしたような気がしました。それは、少しだけ懐かしくて安心する、母のいる居間の匂い。一番上に丁寧に畳まれて入っていたのは、これから迎える季節に向けた衣装の素材たちです。
中でも私の目を引いたのは、深いレンガ色のベロア生地でした。そっと触れてみると、夏服のサラッとした軽やかな感触とはまったく違う、しっとりとした重みと柔らかな温もりがあります。
撫でる方向によって色合いが変わるベロア特有の質感が楽しくて、何度も手でスッスッと撫でてしまいました。まるで、日向ぼっこをしている猫の背中を撫でているような心地よさです。光の当たり方によって、少しだけオレンジがかって見えたり、深い赤茶色に見えたりするのも、ずっと眺めていたくなる理由の一つでした。
私の衣装といえば、パッと目が覚めるようなビタミンカラーや、スポットライトを弾くキラキラのスパンコールが定番です。ファンのみんなも「その明るい色を見ると元気をもらえるよ!」と言ってくれますし、私自身もそういう色を着るとスイッチが入ります。だからこそ、この落ち着いた秋の色合いをどうやって私らしく着こなそうか、一瞬だけ戸惑いました。
でも、指先で滑らかな生地をなぞっているうちに、不思議と心が落ち着いていくのが分かりました。いつも全力で走り回っている私に、「たまにはゆっくり深呼吸してもいいんだよ」と語りかけてくれているような、そんな優しい温度を持った布でした。
母はいつも、私に似合う色や素材を直感で見つけてくれます。高校生の頃、初めて手作りの衣装でステージに立った時も、母が選んでくれた真っ白な生地が私に勇気をくれました。あの時の白が私の原点だとしたら、このレンガ色もきっと、私をまだ見ぬ表現へと導いてくれる魔法のアイテムになるはずです。
鏡の前の静かな微笑みと、母からのメッセージ
部屋の蛍光灯の下で、そのレンガ色の布を大きく広げ、肩からかけて鏡の前に立ってみます。鏡に映る私は、いつものように満面の笑みで大きく手を振るというより、少しだけ静かに微笑んでいる方がしっくりくるような気がしました。

夜の静けさが、いつもとは違う私を引き出してくれたのかもしれません。元気いっぱいで天真爛漫な私とはまた別の、ちょっとだけ背伸びをした、落ち着いた表情。こんな顔もできるようになったんだなと、自分でも少し驚いてしまいました。
箱の底には、母からの短い手紙が入っていました。「いい色の生地を見つけたから送るね。笑ってる人のところに夢は来る。秋もその笑顔で駆け抜けてね」
手紙の端っこには、昔から変わらないニコちゃんマークが描かれていました。それを見た瞬間、遠く離れた北海道から母が私のことを見守ってくれている温かさが、胸の奥にじんわりと広がっていきます。どんなに遠くにいても、周りから現実を見なよと笑われた時も、この言葉があったから私は前を向いて走り続けられたんです。
母の丸っこい字を読み返しながら、笑顔にもいろんな種類があるんだなと気づきました。太陽みたいに弾ける笑顔もあれば、秋の夜長に優しく寄り添うような微笑みもある。このレンガ色の衣装を着てステージに立ったとき、私はみんなにどんな笑顔を届けられるだろう。
客席でペンライトを振ってくれるみんなの顔を思い浮かべます。いつもは一緒に飛び跳ねて熱気を共有してくれるみんなが、この衣装の時はどんな風に私を見つめてくれるのかな。そう想像するだけで、頭の中にゆったりとしたテンポのメロディが流れてくるような気がして、ワクワクが止まらなくなります。
小さなあくびと、太陽の光を待つ余韻
そんな風にデザインのアイデアが次々と浮かんできて、お気に入りのスケッチブックを取り出しました。頭の中でいくつかのアイデアを並べてみます。
- フリルを抑えたシンプルなシルエットにして、胸元にビジューを一つだけ飾る
- ターンをした時に動きに合わせて揺れるような、アシンメトリーな丈にする
- いつものスニーカーではなく、少しだけヒールのあるブーツを合わせてみる
色鉛筆のケースを開け、レンガ色に近い色を探して芯を紙に滑らせようとしたその時。ふあっと、我慢できないくらい大きなあくびがこぼれました。
時計の針を見ると、もうすぐ夜の10時半。頭の中はアイデアでいっぱいなのに、体はすっかりお休みモードに切り替わっています。やっぱり私は、夜の静寂よりも太陽と一緒に動く方が性に合っているみたいです。頑張って目を開けていようとしたけれど、トロンとしてくるまぶたには勝てず、思わず一人でくすっと笑ってしまいました。
色鉛筆をケースに戻し、スケッチブックをそっと閉じます。パタッという小さな音が、今日の終わりを告げる合図みたいに聞こえました。こんな風に静かな部屋で一人、未来のステージに思いを馳せる時間は、とても贅沢で愛おしいものでした。
机の上に丁寧にたたんで置いたレンガ色の生地。明日の朝、窓から差し込む光の下で見たら、きっとまた違った輝きを見せてくれるはずです。夜の蛍光灯の下で見た大人っぽい色も素敵だったけれど、朝の光を浴びたこの布がどんな表情を見せてくれるのか、今から楽しみで仕方がありません。
その瞬間を楽しみにしながら、今夜はゆっくりと目を閉じようと思います。ベッドに潜り込むと、シーツのひんやりとした感触が心地よくて、すぐに夢の世界へ引き込まれそうです。目を覚ましたら、また元気いっぱいの私がスタートします。
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